本当の〇〇を求める危険性。そこから生まれる不安定さを薄めていくには。

コラム/哲学
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朝起きてから夜寝るまで、日々私たちは選択しています。
何を着るか、何を食べるか、どこへ行くか、、、
今日は何をどう選択をしましたか?

日常生活だけでなく仕事や人間関係であっても、将来の方向であっても選択をするということは何か基準があるわけです。
基準となる点をどこかに打っていくのですが、その点を「固定点」といいます。

固定点で自分の基準をつくり、そこから判断して選択します。
思考をするにも固定点を打って、どの考えを採用するか選ぶということをしています。

では、固定点がしっかり定まっていれば自己が安定しているかというと、、、
どうやらそうではありません。

実は固定点を打ってしまうと、逆に不安定さに絡め取られてしまいます。

なにが不安定さなのか

この固定点を探している人が結構います。
例えば、当の自分」という名の固定点です。

今の自分は本当ではないから、最良の判断ができないのではないか。
本当の自分が見つかれば、現状に対して納得のいく選択ができるかもしれない。
本当の自分を探そう!

本当の自分(という固定点)をしっかりと持った判断と選択ができれば、成功や幸せを掴んでいけるという考えでしょうか。

ただ、先に書いたように固定点が不安定さをつくります。

さまざまな事が起こる現実に対して固定された基準では翻弄されてしまいます。世界はいつもうねりがあり、フラットではありません。うねりの中での固定は苦しいものです。

海に浮かぶブイのようにうねりと一緒に動くのが一見不安定なようでダメージがなく沈みもせずです。世界と一緒に動くわけですから。

不安定さを薄めていくには、固定点を外す、もしくは分裂させ複数個を同時に持っていくしかありません。
もはやそれは固定点とはいえないので固定点のない世界になります。

固定点がない世界をつくる2つの方法

では、固定点がないと思えるようになるにはどうするか。
2つしか方法がありません。

経験を積み重ねていくか、あるいは高視点からの世界観を知っていくかです。

多くの人は経験を重視します。
資本主義社会で生き抜くためには、必然的に固定点を外していくことを受け入れざる得ません。

多くの成功者たちは失敗と成功を繰り返して、経験を積み重ねて、固定点の外しに慣れ、固定点のなさに臨場感をもっていきます。

思想家ジル・ドゥルーズはこの状態を「スキゾフレニア」といいました。
「スキゾ」な人は本当の自分など探すどころか、そんなものは無いと言うかもしれません。
世界は不安定なものだと捉え、慣れていくなかで不安定さが薄まっていきます。

逆に固定点を妄想している状態(本当の自分を探すなど)は「パラノイア」といいます。

「パラノ」の人は、この現代社会を生き抜くためにスキゾになろう!などと言われると、スキゾになるという固定点をどう目指したらよいのか悩んでしまいます。

一方、知識にフォーカスすると実体験の積み重ねはなかなか出来ないため、固定点を外した「スキゾ」な感覚に慣れはしないでしょう。

それでも、経験からではなく知識からでも不安定さを薄められます。

不安定さが薄まるのはなぜか

知識から入っても、固定点を外し不安定さを薄めていけるのはなぜでしょうか。

そうはいっても、経験に勝るものはないのも事実です。
いくら「この世に固定点なんてない」と頭の中で固定点を外しても、実体験による慣れの臨場感にはどうやっても敵いません。

ただ、「スキゾ」や固定点をもう一段上から眺めたときに現れる世界があります。

スキゾという概念そのものへの臨場感より、スキゾを生み出す「捏造性」に対しての臨場感のほうが高い世界です。

例えば、スキゾを固定点のない世界だというなら、その考えもまた固定点だといてしまいます。初めから理論的に破綻した世界観です。

スキゾや固定点といった言葉自体がもう捏造されているという感覚。

そもそも、固定点や「スキゾ」や「パラノ」なんてものは最初からこの世にあるわけでなく、ジル・ドゥルーズが語った妄想のひとつに過ぎないわけです。

しかし、成功者とそうでない人のありようを言い当てた言葉なので説明には役に立ちます。

本当の自分はあるかもしれない

うねりのあるこの世界で不安定さを薄め、生きていくにはどうするのか。
スキゾも固定点も上から眺めて見たら捏造されたものであり、もっというなら資本主義社会でさえ捏造です。

言葉で定義した概念にすぎません。

この捏造の臨場感が高まれば、スキゾを目指していこうなんて考えられなくなります。

この世は架空の舞台であって、スキゾという架空の役を演じていく。
そんな役者のような感覚が近いでしょう。

大きな舞台に立つのであれば本気で役者として演じ切っていく覚悟も生まれます。
人生は舞台だと言われますが、覚悟を持った人には舞台なのです。

とはいえ、何かを基準に判断や選択をするのが現実です。

世界は架空で全てが幻想であるといった臨場感が高くなれば高くなるほど、感情や思考に絡め取られずスキゾな立ち位置で判断、選択ができます。

成功者のスキゾに慣れとは違い、スキゾを演じることで不安定さの薄まりがおこります。

その裏で、架空でも幻想ではない根源的な「何か」への憧れが浮き出てくるかもしれません。そして「何か」への希求が、ますます架空の舞台で演じていく力になってきます。

裏にあるその「何か」が、ある意味本当の自分、また固定点と言えるのかもしれません。